才能って?

生徒さんがお教室を辞めるときに手紙をくれる時がある。
保護者様や生徒さんからも。
お心遣いを感じてとても嬉しくなります。

もうずいぶん前になりますが、辞めるときに 「家の子供たちは決して才能があるタイプではありませんでしたが、先生のおかげで楽しくピアノ弾くことができました。」
と、言うお手紙をいただいたことがある。

 ピアノの他にも楽しい事はいっぱいあるし、お勉強もしなくてはいけないし、
ピアノから離れざるを得ない時もあると思う。
けれども、「うちの子供たちは才能がない」と言い切れるほど、親御さんはお子さんの才能を伸ばすためにに努力したのかしらん?
と、疑問に思うことがある。

 そもそも才能ってどれくらい弾ければ才能なの?
太田小で伴奏オーディションに受かって音楽会で、伴奏に選ばれれば、才能があるってことなの?
それとも、音大にいけると才能があるってこと?
それとも、プロのピアニストになれる位が才能ってこと?
ショパンコンクールに出られる位が本当に才能があるってこと?

 よくわからないでしょ。

確かに、AさんとBさんという個人を比べたときに、Aさんの方がピアノの才能はある、と言える事はあるんだろう。
しかし、ではAさんより上手い人はいないのか?と言ったらそうではない。

太田小で1番上手くても中学校に行ったら、もっとうまい人がいるかもしれないし、
埼玉県の中にはもちろんもっとうまい人もいる。
所詮才能があるかないかは誰かと比較した際に言えることで、
そこばかり気にしても、まるで進歩はしないということ。

 1番大事な事は、ピアノを習ったことで、音楽を勉強したことで、人生が豊かになった!と
本人が実感できること。

 かく言う私も、若い時は、自分に才能がないと言うことを嘆いてばかりいた。
しかし、ある時、友人がそんな私に言った。
「でも、純子ちゃんのことも、才能があって、うらやましい、と思ってる人もいるんじゃない?」
そうか。そういうふうに思った事はなかったのだった。
結構、目から鱗だった。😳

 今、2025年度のショパンコンクールが終わったばかりで、現地のポーランドはまだ熱気が冷めやらぬ状態だ。
コンクールに対してメリットデメリット様々な意見があるが、ショパンが大好きな私は
ショパンコンクールに関しては、珍しく興味を持って
各国の若者たちが、ショパンを熱演するのを、とても熱い思いで見ている。

 そして、、見終わった後は、思わずピアノに向かってしまうのだ。
私には、とてもあのようなコンクールに出る才能は無い。これはもう私がオギャーと生まれた時から決まっていたことだ。
たとえ私が1日12時間練習したとしても、あの舞台に立つことはできないだろう。

 でも、私は彼らが弾くショパンの曲がどれほど素晴らしいものかを知っている。
実際に自分が弾いたことがある曲もたくさん弾かれる。彼らの胸の高なりが痛いほど伝わってくるのだ。

この年になって、音楽を楽しめるということが、いかにありがたく、恵まれたことがよくわかってきた。
そして、まだまだ勉強しなくてはいけないことがたくさんある。
勉強で得たことを、生徒さんと享受したいのだ。これが私の1番の幸せ。


お子様にピアノを習わせている親御様は、隣の〇〇ちゃんよりも進んだ、とか
クラスの誰々ちゃんよりも遅れている!とか、そういうつまらない優越感や虚栄心に振り回されず
(気持ちは、わからなくもない)
本人に合ったペースで、粛々とピアノの勉強を続けてもらいたい。
そのうち奇跡のように素晴らしいことが起こるはずだ。

そして、安易に「うちの子には、才能がない」と言わないでもらいたいのだ。