
そういえば、先日のベビーリトミックのイベントで嬉しいことがありました。
イベントが始まる前に、私がピアノのあたりで色々と準備をしていたときに、話しかけてきてくれたママさんがいらっしゃいました。
「木村先生ですよね?」
「えっ🤯?💦」
どうやら、私の独身のときのピアノの生徒さんのようでした。
「Nです」「ああ!Nちゃん❗️」
確か、Nちゃんは小学校1年生か2年生位から中学校に入った位まで教えていたの記憶があります。
中学校のジャージを着ていた覚えはありますから。笑
中学校に入って忙しいから、もうピアノやめます、ということだったと記憶しております。
ちょっとだけお話しできたのですが、
Nちゃんは、今は、育休中なのですが、
子供ができる前は理学療法士として有料老人ホームで働いていたそうです。
そこで90歳の、かなりピアノをよく勉強された奥様の担当になり、
毎日、ホームのホールにあるグランドピアノを弾くのを、リハビリとされていたそうです。
ある時、その方が
「今日はもうできない」とおっしゃったそうなのですが、
「そんなこと言わないで、ちょっと頑張ってみましょう」とNちゃんがお誘いしたところ、
「あなたが一緒に弾いてくれるなら、弾く」とおっしゃったそうです。
そこで、Nちゃんは、ご実家にあったボロボロの楽譜を持っていったそうなのです。
ボロボロなので、コピーをして持っていったそうです。
そこには、若き日の私が色々と書いた、書き込みが残っており
それを見て、その元ピアニスト的な奥様が「あなたはとても素晴らしいピアノの先生に習っていたわね!」
と、何度も何度も私のことを称賛してくれたらしいです。
そして、何十年もピアノは弾いていなかったそうなのですが、私に教わったことを思い出しながら、連弾したり、昔弾いた曲をもう一回弾いてみたりしたのだそうです。
私の今のレッスンは、若いときの失敗に基づいて、今のような形になっています。(笑)
Nちゃんを教え始めた頃はまだ大学生で
多分あまり理想的なレッスンをしていたとはとても思えないのですが、
それでも何十年か経った今、そのようなことを言っていただいて、
恐縮ですし、とてもびっくりしました。
他にも、元、小学校の音楽の先生をしてらした方のため、居室に電子ピアノを持ち込んで、
ピアノを弾いてあげて、最後の時を迎えることができた、ということもあったそうです。
Nちゃんは、久喜市の広報に、私の名前が載ってるのを見て
すぐに、「これはきっと木村先生だ!」とぴんときて、すぐにイベントに申し込んでくれたそうです。
そして何十年ぶりかの再会が果たされました。
直接、お話しすることもできたのですが、
もしお話しする時間がなかったときのために、わざわざ手紙にお話ししたいことを書いてきてくれました。
最後の締めの言葉は
「齋藤先生、小学生の私にピアノを教えてくれてありがとうございました。
基礎を教えてくれてありがとうございました。
とても感謝しています」
という言葉が添えられていました。
私はこの文章を、「だから、私は素晴らしいピアノ講師なのだ」ということがひけらかしたくて、書いているのではありません。
私たちの仕事はボーナスもないし、収入は不安定です。
私は、コンサートでギャラがもらえるようなピアノの腕はありませんし、
生徒をコンクールに出した事はありますが、指導賞などを ももらったことはありません。
一介の街のピアノ講師です。
それでも、自分が目の前のことに真摯に取り組んだ結果、
自分が知らないところで、このように少しは他人の役に立ったということがとても嬉しかったのです。
そして、音楽の本来の社会的な役割というものについても思いを馳せました。
子育て中でお忙しいのにこんなに長い手紙をわざわざ書いて持ってきてくれたNちゃんにも頭が下がりました。
現在の社会ではこういうことをしてくれる人がだんだん少なくなっているような気がするからです。
Nちゃん、声をかけてくれてありがとう!
そのうちNちゃんに、こちらのホームページの卒業生のところに載ってもらおうかしら?
そのうちお声掛けしますから、よろしくお願いいたします(笑)
イベントが始まる前に、私がピアノのあたりで色々と準備をしていたときに、話しかけてきてくれたママさんがいらっしゃいました。
「木村先生ですよね?」
「えっ🤯?💦」
どうやら、私の独身のときのピアノの生徒さんのようでした。
「Nです」「ああ!Nちゃん❗️」
確か、Nちゃんは小学校1年生か2年生位から中学校に入った位まで教えていたの記憶があります。
中学校のジャージを着ていた覚えはありますから。笑
中学校に入って忙しいから、もうピアノやめます、ということだったと記憶しております。
ちょっとだけお話しできたのですが、
Nちゃんは、今は、育休中なのですが、
子供ができる前は理学療法士として有料老人ホームで働いていたそうです。
そこで90歳の、かなりピアノをよく勉強された奥様の担当になり、
毎日、ホームのホールにあるグランドピアノを弾くのを、リハビリとされていたそうです。
ある時、その方が
「今日はもうできない」とおっしゃったそうなのですが、
「そんなこと言わないで、ちょっと頑張ってみましょう」とNちゃんがお誘いしたところ、
「あなたが一緒に弾いてくれるなら、弾く」とおっしゃったそうです。
そこで、Nちゃんは、ご実家にあったボロボロの楽譜を持っていったそうなのです。
ボロボロなので、コピーをして持っていったそうです。
そこには、若き日の私が色々と書いた、書き込みが残っており
それを見て、その元ピアニスト的な奥様が「あなたはとても素晴らしいピアノの先生に習っていたわね!」
と、何度も何度も私のことを称賛してくれたらしいです。
そして、何十年もピアノは弾いていなかったそうなのですが、私に教わったことを思い出しながら、連弾したり、昔弾いた曲をもう一回弾いてみたりしたのだそうです。
私の今のレッスンは、若いときの失敗に基づいて、今のような形になっています。(笑)
Nちゃんを教え始めた頃はまだ大学生で
多分あまり理想的なレッスンをしていたとはとても思えないのですが、
それでも何十年か経った今、そのようなことを言っていただいて、
恐縮ですし、とてもびっくりしました。
他にも、元、小学校の音楽の先生をしてらした方のため、居室に電子ピアノを持ち込んで、
ピアノを弾いてあげて、最後の時を迎えることができた、ということもあったそうです。
Nちゃんは、久喜市の広報に、私の名前が載ってるのを見て
すぐに、「これはきっと木村先生だ!」とぴんときて、すぐにイベントに申し込んでくれたそうです。
そして何十年ぶりかの再会が果たされました。
直接、お話しすることもできたのですが、
もしお話しする時間がなかったときのために、わざわざ手紙にお話ししたいことを書いてきてくれました。
最後の締めの言葉は
「齋藤先生、小学生の私にピアノを教えてくれてありがとうございました。
基礎を教えてくれてありがとうございました。
とても感謝しています」
という言葉が添えられていました。
私はこの文章を、「だから、私は素晴らしいピアノ講師なのだ」ということがひけらかしたくて、書いているのではありません。
私たちの仕事はボーナスもないし、収入は不安定です。
私は、コンサートでギャラがもらえるようなピアノの腕はありませんし、
生徒をコンクールに出した事はありますが、指導賞などを ももらったことはありません。
一介の街のピアノ講師です。
それでも、自分が目の前のことに真摯に取り組んだ結果、
自分が知らないところで、このように少しは他人の役に立ったということがとても嬉しかったのです。
そして、音楽の本来の社会的な役割というものについても思いを馳せました。
子育て中でお忙しいのにこんなに長い手紙をわざわざ書いて持ってきてくれたNちゃんにも頭が下がりました。
現在の社会ではこういうことをしてくれる人がだんだん少なくなっているような気がするからです。
Nちゃん、声をかけてくれてありがとう!
そのうちNちゃんに、こちらのホームページの卒業生のところに載ってもらおうかしら?
そのうちお声掛けしますから、よろしくお願いいたします(笑)